〜ある少尉の戦死〜
また8月がやって来た・・・・・

 毎年、この季節になると思い出す。暑い夏の日に、悲しい笑顔と共に別れた友の事を…

「それじゃあ、行くよ」

 彼は、たった一言そう呟くと愛する人を守る為、この世から旅立った。

確かに、あの当時の仲間だった多くの若者がそう言って2度と戻る事は無かった。

でも、彼だけは特別印象に残っている。

「病弱で泣き虫なんだ。だから僕が守ってあげないとね」

 それが彼の口癖だった。      
 あの頃の日本は未曾有の大戦争の真っ最中だった。

今の人には想像も付かないかも知れないないけど、人の命の重さが紙切れよりも軽かった時代。

 俺は農家の3男だった。当時、農家の3男が生きていく方法なんて軍隊しかなかった。

たまたま豊作が続いていた時期だったから運良く中学(旧制中学、現在の高等学校)にも行く事が出来た。

でも、戦争が始まって3年以上。両親はアメリカの爆撃で寝ている間に焼き殺された。

1番上の兄貴は輸送船と一緒に海に消えた。2番目の兄貴も硫黄島で玉砕した。

 だから、当然って言うとおかしいけど自分の命なんて惜しいと思わなくなっていた。

家族の仇を取るんだと自分に言い聞かせて敵艦に体当たりしてやるつもりでいた。


だけど俺は生き残った。生き残ってしまった。


薄暗い夜の通路で出会った時、彼の表情は良く見えなかった。

でも、何か思いつめた表情で窓から空を眺めている姿だけは判った。

「決まったのか?」

 数時間前、次回の出撃の搭乗割りが発表された。

菊水6号作戦に呼応した第3白鳥隊の出撃者名簿… 

名前は普通の攻撃隊だが、それは2度と帰る事の許されない特攻隊だ。

「ああ、俺は長男でもないし、結婚もしていない。指名されるのは当然だよ」

 彼は暗がりの中振り返ると、影のある表情を見せた。

「でも、条件は俺だって一緒だ。何故、俺が指名されないで貴様が先に行く事になったんだ?」

「そんなの簡単だよ。いくら同い年で階級も一緒だって、俺は特操(特別操縦見習士官)の少尉。

貴様は戦争前から飛行機を飛ばしているベテランだ。

どっちが死んでも惜しくないかは考えなくたって判るだろ?」

「でも!でも貴様には帰る所があるし、守るべき人だっているじゃないか!」

「そんな事が理由にならないのは貴様だって判るだろ?俺だって死にたくはないさ。

死にたくは… でも、命令された以上、それをやり抜くのが軍人の使命だろ?

それが俺が今まで教わってきた事だ。」

「でも… でも…」

「死にたくはないなぁ… あの子を一人残して…」

 その後は長い沈黙だけが残った。
出撃までの間、彼ら特攻隊員達には外出さえ許されなかった。当然かも知れない。

こう言った事は軍機に属する事だし、逃亡される恐れもあるからだ。

 でも出撃の前日。外出面会が許可された。隊司令が最後の親心を見せてくれたのだろう。

だけど、特攻に出ると言う事は軍機であるので、誰の口からも出なかった。

 当然、彼も愛する彼女と最後に会う機会だった。

彼女は体が弱いにも関わらず、四国から九州まで汽車を乗り継いでやってきた。

何か予感めいた物でもあったのだろう。そう言えば以前、彼が言っていた。

「あの子は人の心を読むんだよ」

 病弱で泣き虫。彼と出合うまでは特に友達と呼べる子もいなかったらしい。

そんな特殊な環境にいたせいか、何故か勘だけは異常に冴えている。

そう笑って俺に教えてくれた。

 面会場所である富屋食堂に訪れた親兄弟、恋人達は肌で感じているのだろうか。

物資欠乏の中、考えられる限りの贅沢な御馳走を所狭しと机の上に並べていた。

本来、衛生上の理由から外部からの食料の持ち込みは固く禁じられているのだが、誰も注意しなかった。

いや、注意出来ない雰囲気が確かにその場所に存在していた。

 他愛の無い会話をありったけの笑顔で交わす親子。妻帯者は奥さんの膝枕で幸せな寝息を立てる。

全てが虚像だ。今日が最後なのだ。

明日の朝、ここにいる軍服姿の男達は皆この世の住人では無くなってしまうのだ。

 俺は辛すぎてその場にいる事は出来なかった。免れない死を目前にした若者達の集団。

俺は逃げ出すようにその場所から飛び出した…

 寒風が吹く滑走路の片隅。俺は涙を堪えてその場所まで走った。

そして、その場所で見た。彼と彼女が一緒にいる所を…

 作り笑顔で自慢気に飛行機の説明をする彼。そして、それを真面目そうな顔で聞き入る彼女。

でも、何か普通とは違うやり取りを感じさせる二人。動きがぎこちないのだ。

 やはり彼女は気づいているのだろうか?

彼が明日、敵機動部隊にその身を爆弾として突っ込ませる事を。

 何か声を掛けてやりたい。でも、近づけない。近づいてはいけない何かを感じた。



 夕刻、面会時間は終わった。しかし一向にその場を離れようとしない面会者達の顔。

「もう、面会時間は終わりです。また、次の機会にお願いします」

 当直の下士官がその場の雰囲気を壊さないよう面会者達に知らせる。

一瞬の沈黙の後、「次の機会って! 本当に次があるのか!」鳥浜トメさんが大声で叫んだ。

次の瞬間、ひざまずいて泣き出す女性。凍り付く雰囲気。当惑する当直の下士官。



虚像の終わり。現実の終わり。そして永遠の別れ…



その後、俺は特攻隊の連中と顔を合わせたくなかったのでピストに行き、

別の搭乗員達と一緒に煙草を吸っていた。そして、ふとそこへ訪れた彼。

ピストでは俺の他にも数名の搭乗員が待機して雑談などをしていたのだが、

彼が入ってくるなり会話が止まった。そんな沈黙を破るかのように彼が言った。

「よぉ」

「…」

 言葉が出なかった。

「ちょっといいか?」

「ああ」

 やっとの思いで言葉を出す。

「少し外に出ないか?話したい事がある」

「わかった」

 暗がりの滑走路。日も落ちてあたりは漆黒の闇に包まれている。

時折雲の間から顔を覗かせる月明かりでかろうじて彼の表情が読み取れた。

滑走路脇の草地に腰を下ろした俺達。暫くの沈黙の後、彼は言い出した。

「今まで俺は『死にたくない』。そう言い続けてきた」

「うん」

 お互い、空を見つめたまま会話を続ける。

「でも、これが俺の定めらしい。だから運命には従う事にする」

「…」

「あの子に伝えて欲しい事がある」

 ふいに彼は俺の顔を見つめた。その時、わずかな月明かりで見えた彼の表情は真剣そのものだった。

「?」

「遺書なんて残すガラじゃないから… 

それに俺としての存在を何か『形』として思い出せるような物はこの世に残したくないんだ。

彼女を悲しませるだけだから…」

「…」

「だから、ハッキリと伝えてくれ。今の俺の気持ちを…」

「判った」

「俺は死ぬ。敵の空母と刺し違えてこの世からいなくなる。

でも、それは彼女と共に生きようとした約束をを裏切る事じゃない。

俺は彼女を守る為に、この美しい日本を守るために死ぬ。

彼女が無事に生き延びるのなら俺は喜んで死ねる。1分でも、1秒でもいいんだ。

彼女の笑顔を守る為なら喜んで死ねる」

「…」

「誰だって死にたくなんかないさ。でも、どうせ何時かは死ぬんだ。

ただ、それが早いか遅いかの違いでしかない。

たまたまこんな時代に生まれてしまったから、死ぬのが早いだけで、彼女には悪いと思っている。

でも、何度でも言うが、彼女を守る。その為に俺が今まで生きてきたのだとしたら、それはそれで満足だ。」

 彼は微笑んでいた。

「彼女には俺が特攻要員だと言う事は知らせてはいない。

だけど、彼女の事だ。とっくに気づいているだろう。彼女は弱い子だ。

俺が支えてやらないとどうなるか判らないのも事実だ。

だけど、ここで彼女と一緒になったところで、国が滅んでしまってはお互い生きてはいけない…」

「だから、俺は命を賭けてあの子を守るんだ。こんな名誉な事はない」

 彼は微笑んでいる。このどうしようもない状況で笑っている。

全てを諦めたのか、それともそれが自分の運命と確信しているのか… 

恐らくは彼が言っていた通り、後者の事として、運命を受け入れるのだろう。

俺は涙を堪える事が出来なかった。

「なんだ?まるで、貴様が死ぬみたいじゃないか。死ぬのは俺だ。

貴様は生きて、この事をちゃんと彼女に伝えて欲しい… 宜しく頼むぞ!」

 彼はそう言って立ち上がり、ズボンに付いた泥を叩き落とすと踵を返し宿舎へと向かっていった。

俺はそんな彼に声を掛ける事も出来なかった…

  
翌午前2時。暗闇の滑走路に並ぶ「元」戦闘機達。

機銃を外し、防弾板をも取り外した飛行機はもはや戦闘機ではない。

25番(250kg爆弾)を腹に一発抱いて、敵艦に体当たりする誘導弾。

しかし、それを敵艦に体当たりさせるのは感情もあり、生きている人間の仕事だ。

 戦前に読んだ海野十三の空想科学小説には機械が自分で敵を追いかけるロケット爆弾や怪力熱線砲な

ど未来の武器が書かれていた。でも悲しい事に、未来の武器では当然現状を変える力は無い。

何故こんな状況になってしまったのだろう?

どうしてここまで追い詰められても闘わないといけないのだろう?

しかし、それを考えるのは俺達じゃない。

俺達は「死ね」と言われたら死ななきゃいけない軍隊と言う名の機械の中に組み込まれた歯車に過ぎない

のだから。

 俺はその特攻機達を見ながら運命の皮肉を感じていた。

つまり俺は彼らを無事敵艦まで送り届ける為の直援隊として彼と共に飛ぶのだ。



「最後まで貴様と一緒か!?」

 そう言って彼は笑った。彼と過ごす最後の時間、最初に交わした言葉だった。

「全く、腐れ縁だよ。中学からずっと一緒だ。良い事も悪い事も。

そして、今日は俺の最初で最後の大戦果を見届けてくれるのか?」

 そう。彼にとってはこれが初めての実戦参加なのだ。

大学で召集され、ギリギリまで短縮された士官教育を受けた後、飛行隊へ入隊。

そして「死んだ方がマシ」と言われるような地獄の訓練を受け、初めて参加する実戦が最後の実戦。

ほんの3年前までは飛行時間150時間にも満たないヒヨッ子など、とてもじゃないが、

実戦には参加出来なかった。しかし今は違う。やっとの思いで飛行機を飛ばす事が出来るだけの人間が生

きた爆弾として敵艦に体当たりする時代なのだ。

「…」

「何、黙ってるんだ?」

「何て声を掛けて良いのか判らない…」

「莫迦だなぁ、そう言う時は『戦果を期待しているぞ!』って言うもんだ」

 彼はそこで笑顔を引っ込めると、一転して真面目な表情になって続けた。

「昨日の夜。俺が言った『遺言』。ちゃんと彼女に伝えてくれよな」

「判った」

「よし!ならばもう俺には思い残す事は無い。立派に闘って死んでみせる!今日は宜しくな!」

 そう言って俺の肩を叩いた彼は「搭乗員整列!」の命令を聞き、整列の中へと走っていった。




「七生報國、死して護国の鬼となり…」

 司令の訓示。続いて水杯。

白鉢巻を飛行帽に巻き付けると、彼は彼の棺桶となる飛行機に向かって小走りに掛けていく。

俺は、彼が飛行機に搭乗するのを手伝う為、主翼の上から手を出してやった。

その時に気づいた。俺の背中には落下傘がある。しかし彼の背中には何も無い。

機銃も防弾板も落下傘も… 死ぬのが確実に決まっている人間になど余分な物など不用と言う訳だ。

さすがは軍隊、全く無駄が無い。ふざけている!

 彼は操縦席に身を置く前に体を向きなおすと

「これは俺の形見だ。今まで連綿と続いてきた我が一族の『証』だ。彼女に渡すなり、貴様が自分で使うなり

自由にしてくれ」

 彼が俺に向かって差し出したのは一振りの日本刀だった。

「この刀は代々俺の家に伝わった家宝の刀だ。だけど、俺の家族はもうこの世にいない。

だから、俺の最後を見届けてくれる貴様に渡しておく」

 それが彼と交わした最後の言葉だった。

その後、整備員と一緒に操縦席のバンドを締めてやり、俺は彼の機から下りた。

その時俺の目はすでに周りの景色が判るほど暗闇に馴れていた。





「前、離れーッ!コンターク」

 起動機に接続されたプロペラがゆっくりと回り出す。

そして、彼の点火操作によって息を吹き込まれる発動機。完調を伝える排気炎。

機の正常を確かめる為に動かされる補助翼、方向陀、水平舵…

 彼はプロペラピッチ調整把柄を操作する。それまで、空回りしているだけだったプロペラに角度が付き、

プロペラに捕まった空気が後方に押し流される。

すると、そのプロペラ後流で彼の首に巻かれていた白いマフラーがなびき、操縦席からはみ出した。

「チョーク払えーッ!」

 整備員が車輪止めを外し、全力で横に退避する。それを確認した彼はスロットルを開く。

爆音がひときわ高くなり、飛行機はゆっくりと動き出した。


  


 滑走路脇に立つ手空きの仲間たちが盛んに帽子を振っている。




 滑走路を走り出す飛行機。

次第に速度を上げ、翼が空気を掴み、機体が空へと浮き上がろうとしたその時、

一瞬だけ彼の姿勢に変化があった。

 だが次の瞬間、何事も無かったかのように大空へと舞う彼。

設計当時、誰も考えていなかった重量物、25番のせいで飛翔力がかなり落ちているものの、最後の瞬間に

向け、飛行を開始した。

 彼ら全てが無事に飛び上がった後、我々直援の戦闘機隊と敵の電探を妨害するため、薄く延ばした錫箔

で出来た電探欺瞞紙を腹一杯につめこんだ流星艦爆も大空へと向かう滑走路へ機首を向けた。

そして、1番機、2番機と空へ舞い、俺の乗った戦闘機も本来あるべき場所である大空へと飛び上がる。
 
その時に見えた。彼の姿勢に変化があった理由を。





 滑走路のすぐ外にある一本の小道。地獄の入り口と娑婆を隔てる一本の柵の外側に立つ一人の少女。

有刺鉄線が貼られているにも関わらず力の限りそれを握り締め、空を見つめ続けるるお下げ髪の少女。

その手からは真っ赤な血が一筋流れていた。そして、その少女の頬にも一筋の涙が…

 上空は暗闇の空。彼女は何を見つめているのだろうか。

この大空には、子供の頃あると信じていた美しい場所など存在しないのに。












 雲の上はいつもと同じ星空。耳にはいつもと同じ発動機音。風防越しに見える5機編隊の特攻機。

その上空で護衛任務に付く俺達。目標の敵機動部隊の泊地まではあと、数十分。

我々より先行していた流星艦爆は「ワレ、敵機ノ触接ヲ受ケツツアリ」の緊急電を発したあと消息を絶ってい

た。で、あるならばそろそろのはずだ。

 来た!我々の来襲を電探で捕らえたのだろう。肉眼が頼りの我が方に対し、敵は地上にある電探に誘導

された後、自機の電探で我々を追い詰めるグラマンF6F−5NとロッキードP−61夜間戦闘機だ。

直援隊の我々は落下増層を切り離すと機首と速度を上げた。

特攻を成功させるため、そして彼のために何がなんでも血路を開いてやるのだ。

 そのあとの事は良く覚えていない。

死に物狂いで敵艦隊上空に近づいた時には2機の特攻機と3機の戦闘機を失っていた。

そしてしつこくつきまとっていた敵機が離れたと思ったら今度は敵艦隊の防空火器が恐ろしい勢いで火を吹

きだしたのだ。それは槍ぶすまなどと言う表現ではない。我々は『炎の壁』の中に放り込まれたようだった。

 そんな状況では目標上空に辿り付けなかった隊員が誰であったのかは判らない。

ひょっとしたら彼はもういないのか。



 すると傷だらけの特攻機が俺の機の横についた、彼だった。

その直後、特攻隊の隊長機の声が雑音混じりのラジヲを鳴らした。

『我々はこれより突入を開始します!今まで本当に有難う。そして、さようなら…』

 1番機、2番機と猛烈な対空火網の中に身を投じる特攻機。

上空から見ると針のように小さな敵艦になど余程の幸運と腕がなければ体当たりなど出来はしない。

思わず視線をそらしたくなる。が、彼らの最後の勇姿を見届けるのも俺達に課せられている任務だった。

「それじゃあ、行くよ」

 突入を始める直前、俺に敬礼をした彼は最後にそう言った。

言ったと思う。ただ口がそう動いたように見えたのだ。



 昭和20年8月1日午前4時15分。

それは基地の通信隊で受信された彼の機から発せられていたモールス信号の長音が途切れた時間。

この瞬間、彼は戦死した。




そして、俺にも「特攻」の指令が下る。

決行日は8月16日。

あいつの後を追うにはちょっと遅すぎるがいいだろう。



今日も「帰らざる旅」に出る仲間達を見送る・・・



しかし、俺の出撃は無かった・・・・

8月15日。生まれて初めて聞いた玉音で敗戦を知らされた。




俺は生き残ってしまったのだ・・・・。




でも国が滅ぶなんて事は無かった。

自らの意志、強制された意志。死にたかった人。死にたくなかった人。

数え切れない想いを抱えて「戦争」と言う怪物はこの国からいなくなった。




 昭和19年10月から開始された特攻。

その出撃機数、海軍1325機、陸軍1178機。

戦死者数、陸海軍合計で3912名、その平均年齢は21歳。命中244機。成功率16.5%。

撃沈した艦艇、49隻、損傷270隻。その命中した16.5%の中に彼の姿は無かった。













『海行かば、水漬く屍。山行かば、草むす屍』


 時折そんな歌を思い出しながら数え切れない程の月日が流れていった。


    

そんな事があったんですか」

 眩しい夏の日差しが差し込む一室。

若き特攻隊員達の写真や遺品が展示されている。

レストアされてピカピカの零戦と疾風が展示されてるホール。

その中に腰を降ろしている若い二人が声を揃えて呟いた。

「ああ。昔々のお話だよ。今から50年以上も前の事だ」

 先日、病気でこの世を去った妻の妹。

その義妹の遺品を整理していて見つかった一振りの日本刀と一枚の旭日旗。

旗には今もなお、墨痕鮮やかに亡き彼の辞世の句と「第三白鳥隊」の文字。

孫の旦那が興味深々でそれを手にとって眺めていた時、俺が語った昔話。



一生、人なんか好きになれない。これ以上悲しい想いはしたくないから…



 生前、その義妹が良く言っていた台詞だった。

孫の旦那は「少し変わったお婆ちゃん」としか見ていなかった。

でも今、俺からその話を聞いてようやく謎が解けたようだった。

「悲しい… 凄く悲しいお話ね」

 そう呟いた孫の瞳には涙が浮かんでいた。孫は義妹に似て涙脆い所がある。

それを片腕で優しく抱きとめている孫の旦那もやり切れない表情をしていた。

「でもな、当時こんな辛い話はそれこそ一杯あったんだよ。

何も彼だけじゃない。沢山の男達がそうやって死んでいったんだよ。幸い、俺は生き残る事が出来た。

いや、生き残ったんじゃないな… 先に逝った奴等に生かされてるんだ。

次の世代にこの事実を伝えるために」

 

外に出ると辺りはもう薄暗くなっていた

「あ、あのう、蛍が2匹飛んでいます」

孫の真奈美が指差した方に蛍が2匹仲良く飛んでいた・・・あいつ、帰ってきたのか・・・。

ここに来た孫夫婦を祝福してくれているのだろうか・・・









… … … …

「ねえ、あなた?」

 知覧からから東京に帰る列車の中。車窓から眺める幾つもの街並の夜景は瞬く間に流れ去っていく。

僕はそんな風景を眺めながら昼間聞いたお祖父さんの話を思い出していた。

「ん?」

 妻は車中の心地良い揺れのお陰と遺品整理の疲れからか気づかない内に眠っていたらしい。

ふいに目を覚ますと急に言い出した。

「もし… もしもよ?私達が生まれるのがもっともっと早かったらあなたはどうする?」

 真剣な表情で僕に質問する妻。

「僕か?やっぱり愛する者を守るんだったら、あの少尉さんと同じ行為を取ったかもしれない。

でも良く判らないな。当時の物の考え方や思想。今と価値観が180度違うからね。」

 僕はここで一呼吸おき、続けて言った。

「ハッキリと言えるのは僕はこの先お前を悲しませることだけはしたくない。

僕だってあの戦死した少尉と同じくらい好きな人の事は必死になって守るよ。だから安心してお休み」

 僕は軽く頭を撫でてやり心底からの笑顔で最愛の妻、真奈美に答えた。


                            - 完 -
解説
このSSは、今は亡き「天塩帝國」という杉原真奈美属性のサイトにあった物をベースに加筆して作った物です。
自分も知覧の特攻隊の記念館に何度も行っているので初めて読んだときはジーンとしました。


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